魔森煌月鬼奇譚 (お侍 習作62)

       お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


          




 それもまた、さすがは特別仕様だからということか。ある意味での“利点”が、負傷を負った場合にもたんとあるのが機巧侍たちであり。生身よりも頑丈だったり、即死状態でない限りは…こういう言い方も何ではあるが“修理”という治療対処によって、生身の体が斬られたよりもずっと、快癒の道もある存在。よって、生身の者より取り逃がしてはならぬのもまた、機巧侍ということになり。
“難儀なことよの。”
 あの長きに渡った大戦の折、少しでも武勲を立てての自軍へ勝ちを導きましょうぞと、血の通う肉の身を捨てての、戦闘力をのみ特化した者だというに。勝敗ついての平和な世に落ち着こうという段になった途端、大きくて強い身であればあるほどに、生身の人間との共存も出来ぬことから疎まれての追いやられ、盗賊ばたらきでしか身を立てられなくなってしまおうとは、一体誰が予測しただろか。
“…ともあれ。”
 何としてでも捕らえねば、ある意味で“手負い”となった身だけに、怨念高めての武装も固め、仲間を募っての再び同じ村を襲撃でもされては元も子もない。降り落ちる月光が木の幹や足元という そこここを斑
(まだら)に塗り潰す木立ちの中、裳裾の長い衣紋をひるがえしての追撃を続ける勘兵衛の視野の先、不意に開けた明るい場所に、人影が一つ、ぽつりと立っているのが見えた。さっきの広場ほどもない空間であり、此処にあった巨木が倒れるかどうかして、たわわに緑が茂りし梢による天蓋に穴が空いたというところか。青ざめて見えるのはその身へ月光を隈なく浴びているからか。勘兵衛が追っていた甲足軽ではない、生身の、しかも随分と年老いた老爺であり、

 「…ご老体。こんな場所でどうされた。」

 まさかに狐狸の類いが化けて出た訳でもあるまいが、場合が場合だけにと用心してのこと。歩調を緩めての間合いを取って立ち止まり、低めた声をかけたれば、
「なに。儂の可愛い子供らを責め苛む輩は見過ごせんのでな。」
 どこか調子の外れた甲高い声で応じると、渋ウチワのように枯れ細った身を振るわせて、ひゃっひゃっひゃっと笑って見せる。それでなくとも深夜の野辺。しかも、見たところ何の装備も持たぬ身であり、旅の途中とも見えはせず。
「可愛い子供、とは。此処を駆けて来ただろう甲足軽のことかの?」
 こうまでの老人であるならば、あれが息子でもおかしくはない。そうと思っての訊いたところが、
「あれの提げとった刀のことじゃよ。」
 ひょっひょっひょっと、はぐらかすような言い方をする。これは難物にかち合うたかなと眉を顰めた勘兵衛に構わず、
「あやつだけではない、連中にやった刀は全てこの儂が打ったもの。」
 何かしら芝居の口上のような節をつけ、老爺はどこか不気味な陽気さで、滔々とまくし立て始める。
「儂は刀匠だ。人殺しの侍に、人殺しの道具を与えるのが生業。だのに、儂は先の領主に捕らえられ、罰を受けかけた。護剣をとの所望であったのに、それを提げてった息子たちがことごとく亡くなってしもうたは如何なることかと抜かしおる。」
 勝手なことをと吐き捨てるように言い、
「だから儂は魔剣を打つことにした。斬れ味ばかりが冴えた剣、余程に握力がなけりゃあ、どこまでも風を切っての撥ね躍る剣。魔物にしか御せぬだろう鬼の力が宿った魔剣ばかりをな。」
 まま機巧侍ならば何とか御せもしようさねと、かっかっかっと嘲笑ってのそれから、
「今の領主はなかなか徳ある御主であるらしい。あんた、領主から依頼されたね? 力なく殺されるばかりの農民を助けに来たかえ?」
 何が可笑しいか、ぐふふぐふふと笑い続けて、
「哀れと思うたか? だが、そんななぁ名目だろう? その腰の座りや足捌き、面構えのこわさからだって判る。あんた、人を斬り馴れてる侍だ。なあ、人を斬りたいだけなんだろう? 言っても判らん相手だから斬るってかね。そんなんが正義かねぇ? やっぱりただの人殺しじゃあないかね。」
 だってのに、乙に澄ましての偉そうにしてんじゃねぇとでも言いたいか。狂って見せての理詰めで迫る、そんな性の悪い老爺に向けて、

  「…ああ、そうさ。」

 壮年殿の声も態度も、微塵も揺るがず。泰然と落ち着いたままの表情が言い放ったは、

 「侍というのは例外なく人殺しだ。
  裁くのでも誅すのでもなく、ただ“殺す”者。」

 一旦は鞘へと収めていた太刀を、そのごつりと骨の立った大きな手ですらりと引き抜いて見せ、
「別に魔物や鬼へ魂を捧げずとも、刀匠の怨嗟を込めてもらわずとも、我らが振るうは希代の魔剣よ。先の戦さ場でどれほどの魂を屠って来たことか。」
 切っ先を高々と掲げて見せると、その刀身を煌月の光が青く舐める。顔の半分を隠すようにして立て構え、軽く目元を眇めれば、刀は不気味に唸りを上げ始めて、
「な…?」
 何が起こったかが判らないらしい老爺の頭越し。
「哈っ!」
 すぐの頭上へと突き立ててやれば、刀が帯びていた超振動の波動が撥ねて、一気に大樹が裂けたものだから、

 「ひっ、ひいぃぃっっ!!」

 ついさっきまでのあの異様な振る舞いはどこへやら。やはり命は惜しかったのか、真っ当に震え上がると、真上の刀からは身を避けてのよろめきつつ。背後へともんどり打つように身を返しての、ばたばた見苦しくも逃げを打つ。
「…怖がらせ過ぎたかの。」
 独り言を言った訳ではなく、老爺を見送る勘兵衛の背後に、久蔵が追いついて来たその気配が立ったからであり。肩越しに視線をやれば、向こうはそれなりに片付けたということか、軽く頷く彼であり。
「…。」
「…なんだ。」
 こっちの凝視に耐え兼ねてか、久蔵の側から応じがあったことがある意味での答え。
「全員薙いで来やったか?」
 いかんと言い置きはしなかったが、無駄に斬りつけてどうするかとの非難の眼差しは隠し切れずで、
「侍は殺す者、なのだろう?」
「それはそうだが。」
 あくまでもそれは我が身への話。勘兵衛自身が、自分への心得や戒めとしている御説に過ぎず、先達ぶっての論をぶち、誰彼構わず押し付けて“侍とは人斬りなり”と奨励する気はさらさらないし、

 「自力で立って歩いてもらった方が、役所監獄への移送も手がかからぬ。」
 「あ。」

 こらこら。なんてことを言ってやり、しかも納得してますかい。





  ◇  ◇  ◇



 どこまで性根が座っていた“本物の狂人”であったものやら。勘兵衛が見せた超振動の覇力に腰を抜かしかかっていたところを見ると、先程の老爺、
「刀を打ちはしても自分で斬るまでは行かぬ、そんな刀匠であったしいな。」
「?」
 そんなで人斬りの刀を打てるものなのかと、矛盾を感じてか小首を傾げる久蔵へ、
「例えば神への奉納刀とか、高貴な身分の方々が身につける護剣とか。そういった清かに神聖な刀を専門に打つ刀匠だったのかも知れぬ。」
 蒼月もいよいよと天空へと登り切っての夜半もたけなわ。木洩れ陽ならぬ、木洩れ月光の妖しく降り落ちる中。道らしき道もないというのに、風のような勢いを保ったままな結構な急ぎ足にて、追跡を続けている練達二人であり。青い光が褪めた銀色で満たす森の中を危なげなくも駆け抜ける彼らへの、もしも目撃者がいたならば。間違いなく、人ならぬ者の妖しき跳梁のように映ったかも知れない。そういえば夏至の晩は妖精たちが輪になって踊るんですってね。それはともかく、
「結構な年齢だったからの、ましてやこんな辺境の地の鍛治だ。」
 戦さに立つ者が血糊しぶかせての実戦で使う刀ならではな、実用性やら鋼の粘りやら、考えたこともなかったのかも知れぬと、勘兵衛が付け足せば。
「…。」
 そういえばと、久蔵も想いが至ったのが先ほどの乱闘場。切れ味はいいかもしれないが、さして切り結ぶまでもなく、鋼の癖やら刃の流れ、易々と見澄ませる刀が多かった。機巧体の装甲はさして鍛えてはない場合も多いので、一刀の下に斬り裂けもするが、
「あれだけの業物が。」
 練鉄がああもやすやすとへし折れるとは、奇妙
(けぶ)なことよと思ったらしく。そんなお顔をした久蔵であると察してのこと、
「…楯にとかざした刀身をも、斬って来おったか。」
 短く問うたのへ、
「…。」
 ちろりと目線だけを寄越した相棒の態度を“是”と拾った勘兵衛様、
「峰打ちの廉売でやすやす倒せた程度の連中だったろうに。」
 お主までもが無為な人斬りをしてどうするかと。こんな短いやり取りで意が通じているところこそが物凄い。まま手筈どおりに追い詰め作戦は成功しているのだからいいけれどと。再びの苦笑を浮かべる壮年と若いの、褐白金紅の二人が今回請け負った“成敗”は、おろちと名乗る強襲強盗団を標的にしてのものではあったが…実のところはそれのみならず。先程わざわざ勘兵衛が頭目らしいのへ訊いたよに、今さっきの老爺を捕らえることこそが主眼目。いつ頃からか、ここいらを拠点として暗躍しだした“おろち”らは、どんなに狩っても際限なく、新たな面子にての暴虐をもう何年も続けており。そうまで大所帯なのかと危ぶんだ公安当局であったものの、それにしては捕らえた連中が残党についてを知らなさすぎる。それどころか、一緒に捕まった同輩のことも把握していない場合が多く、これはどうやら単純な組織形態の武装強盗団ではないらしいとの真相が、州廻り役人たちの間でも固まっていて。

  ――― 誰か腕の立つ刀匠が陰にいて、
       とんでもなく切れる得物を渡しては、
       野伏せり崩れの連中を煽っておるらしい。

 野伏せりといやあ、腕に覚えがあればこその機巧の身体となった元・軍人と、それに従っての夜盗ばたらきをしていた野盗たち。もともと心得のある連中なのだから、高価だったり今時ではもはやあまり作られてはいなかったりで、名のある刀匠と懇意にでもならねばなかなか手に入りにくい武装を整えたれば、手がつけられなくなるまでの存在になるは必至であり。とうとう“軍隊でも連れて来なければ拿捕は無理”とまで言われたのが今期の一団。これはもう、例の凄腕に任せるしかないと白羽の矢が立ったのへ、某所の伝言係が応じてのこと。割と近場にいたのを幸い、金創に効くという湯治先からやって来た彼らであり…いや、それはどうでもいんですが。こちらの壮年もまた、その怪しい刀匠をこそ捕まえねば際限
(キリ)がないと見越したようで。とはいえ、

  「何の損得勘定もないらしい狂人のやることだから始末に負えぬ。」

 金目当てでもなければ、彼ら野盗を牛耳ろうという権勢欲しやの恩着せでもない。せめて“ざまを見ろ”との怨嗟の相手でも定まっているような振る舞いならば、引っ張り出す罠の仕掛けようもなくはないのだが。彼を苦しめた領主というのは、問題の大戦後、借金で首が回らなくなったことから、畏れ多くも先祖伝来の領地を商人に払い下げての行方も不明になっており。今現在の領主は、此処を買い取った大商人が例の“都”の撃沈に同座していたらしいことから急ぎ選ばれた、当地に縁の深い名士の中でも特に徳のある家柄の当主であり。これでは釣り出すための餌がないから、直接の接触を見るは困難だろうと予想され。
『まま、今のその自慢の武装を片っ端からへし折れば、もっといい武器はないかと泣きつきに行くやもしれぬがの。』
 判り易すぎる直球な手法ではあるが、次に狙われているのがどうやら非力な農村とあっては、悠長な搦め手を繰り出している余裕もない。そこでのガチンコ、さあいらっさいとばかりに揉み手をして待機していたところへまんまと現れた一団へ逆襲を浴びせ、大慌てのもんどりうって逃げる雑魚を楽勝で一掃し。それに泡を食った幹部格をゆるゆると逃がしてやってから、それをもまた打ち払って見せて…という、いかにもなじわじわとした追撃に煽られてのこと。今世の頭目だったらしき甲足軽が向かった先にて、思わぬ間合いに現れた謎の老爺が…どうやら問題の刀匠殿であったらしく。
「…取り逃がしてどうするか。」
「言ってくれるな。」
 あまりにあっさりと怖がってくれたので、こちらもまた拍子抜けしてしまったのだと。苦笑をこぼした勘兵衛の、その蓬髪の向こうに何かが見えたらしく、
「…。」
 不意に表情を硬くした…という差異が判るのは仲間内に限られるほど、日頃からもほとんど表情の動かない、無口寡黙な若き剣豪が、その赤い双眸を微かに見張って見据えた先へ。壮年もまた視線を戻し、深色の眼差しを前方へと振り向ければ。

  【 よくも追って来れたの、そんなにも我らに懸けられた懸賞金がほしいのか。】

 頭巾をかぶったような頭に、忍び装束をまとったような黒づくめの身体。すっくと背条を伸ばして立っておれば2メートルはあろう上背と、それへと相応の大きさ厚さと頑丈な身を誇る、甲足軽が一体、こちらを向いての立ちはだかっており。
「金を馬鹿にしてはいけないな。お主とて、その身を保つに金子が要っての盗賊ばたらきなのであろうが。」
 挑発には乗らず、淡とした声を返しつつも。表情が読めぬことでは久蔵以上の相手の態度や、声や所作から、何とかしてその思惑を透かし見んとする勘兵衛で。逃げ果
(おお)すのを諦めたのか、それとも執念深くも鬱陶しい“付け馬”を、後腐れのないように斬って捨てようと思ったか。
“さっきの老爺はどうしたのだろうか。”
 まさかこやつが、自分が時間を稼ぐからと逃がしたか? 彼
(か)の刀匠さえ無事ならば、此処を乗り切りさえすれば、またぞろ切れ味のいい武器を打ってもらいの跳梁跋扈が出来ようからと。そんなところへ算段を巡らせて懸けたというのか。だとすれば、
“時間をかける訳にもいかぬか。”
 相手が背に負うた鞘から抜き放ったは、特別仕様の幅広な軍刀。その上背と比較しても、ずんと重たそうな逸物だから。当たれば腿でも背中でも、骨が逝くのは間違いなく。機巧の身でなくては到底振るえぬだろう、とんでもない代物だ。とはいえ、
「…。」
 そんな怪物を見据えつつ、壮年の前へと進み出たのは久蔵で。こちらもやはり背に負うた刀を二振り、上と下からすらりなめらかに抜き放つと、
「…。」
 無言のままに身構える。懐ろを軽く開いた格好に腕を伸べ、刀はそれぞれの手に順手で握っての縦と横、垂直と水平にそれぞれが構えられており。踏み出した左脚の膝頭が、紅衣の裳裾の切れ目から覗いての、均衡整えた構えようは、なかなか見栄えのいいそれではあったが、
【 なんだ、そっちはそんな細いのが出やるのか。】
 確かに。左右へ軽く広げられた双腕のしなやかさや、長衣の裾を踏みはだけた脛の細さは、何とも頼りなく映ることか。だが、
「…。」
 愚弄する声にも眉ひとつ動かさぬ美丈夫とあって、却って憤怒が増しでもしたか、
【 まあ良いわ。身の程知らずが、痛い目にあってうんと後悔するといい。】
 言ったが早いか、やはり凄まじい膂力があってこその奇跡の動線。軽々と頭上まで振りかぶられた、重装甲兵の盾もかくやという大軍刀の、風を切っての一閃は。どんな盾を翳しても防御し切れぬだろう凶悪さにて、白皙の美丈夫の額を目がけ、重々しくも叩きつけられた…かに思えたが。

 【 な…っ。】

 そんな一閃と交差して。ぎらり、宙を翔った別の軌跡が弾けたと同時、しゃり…りんっという、いかにも涼やかな金属音が立った。斬ろうとする対象へ、凶悪なほどの鋭さなめらかさで入り込むよう、特殊な鋭角を取っての打たれ、研ぎ出された刃は、だが。この大物につけるとなると、風を切っての失速するか、さもなくば。剃刀のようにと研ぎ澄まされた鋭さが仇になっての、そこが破点…打てば砕ける“目”となりやすい。途轍もない力が一点へかかることへと耐え兼ねて、かすかに鋼が軋んだその波動。
「…っ。」
 自らの刀への感触にて鋼の脈を読み拾い、その脈で軋む“ねじれ”の抵抗目がけ、追い打ちをかけるよう、二刀だての超振動にて押し返した久蔵であり。

  ――― 呀っ!

 ざっくと粉砕しての、一瞬にして切り刻んでしまったは。刀の質とそれから、それを操った者の並外れた勘の良さがあっての奇跡。だが、

 「…っ、久蔵っ!」

 散り散りに砕けた鋼の破片が氷のかけらのように降り落ちるのを、咄嗟に顔を背けて眸へ飛び込まぬよう、金髪紅衣の双刀使い殿が避けた隙を見逃さず、
「…っ。」
 甲足軽が後方へと大きく飛びのく。ああまでの自信を込めて振り下ろした軍刀の、加速も加わっての途轍もない重さへの反発。ぶつかった瞬間に生じただろう重い抵抗が、信じられぬことながらも一気に消え去った訳で。その瞬間、体ごと預けてでも押し開けようとしていた堅い扉が不意に消えたような、そんな種の肩透かしが襲いかかっての、失速を見せてそのままつんのめってしまうところだったろに。
“あれでも一味の首魁ではあったということか。”
 呆然となっての流されたりはすまいぞと、身を翻したは敵ながらも見事な機転。まだまだ諦めはしないということか。
「…。」
 こちらも出来る範囲での身を引いて、避けられるだけは避けたものの。髪や衣紋の胸元肩先、細かく砕けた鋼をかぶってしまった久蔵が、気配のみにて相手が離れたことを察し、その手へ双刀を構え直したところへ、

  「覇龍丸っ!」

 しわがれた声がしたのへは、その場に居合わせた面々が皆してハッと息を飲む。逃げてはおらずの近場にて、彼らのやり取りを伺い見ていたらしき先程の老爺が、あたふたと血相変えて、何へかへと向かい、一直線に駆け込んで来た。この場に張り詰めていた対峙の空気も意に介さず、ちょうど久蔵が立っていたその足元辺りへ目がけ、身を屈めつつの駆け込んで来た彼であり、
【 爺さん、邪魔だっ!】
 やはり匿ってやってはいたらしい甲足軽が、舌打ち交じりの声で非難したものの、その声さえ聞こえぬらしい老爺が拾い上げたは…砕かれたことで柄だけとなったため、持ち主から足元へと捨て置かれた先程の軍刀の残骸だ。
「おうおう、痛かったろうによぉ、覇龍丸。」
 それがその刀の銘なのか、慈しむように呼んでやっての、大事そうに懐ろへ抱え込み、
「サブロウタ殿、何てことをしやるのか。こんな姿になってもお主の刀ではないか。」
 選りにもよって、甲足軽のほうへと向かって行こうとしやる彼であり。ああやはり、どこかで何かが歪んでのこと、常軌を逸した言動を取ってしまう彼なのだとの認識を深めての、憐れなことよと感じ入ったと同時、

  「…っ。」

 ちきり…という。微かな、特長のある金属音を拾ったところは、さすが褐白金紅の練達二人。但し、それへの反応はそれぞれでちょいと違っており、
「ご老体っ!」
 射程の線上にいた老爺を、襟首引っ張ってでも退けようと、その背後から腕を伸ばしたのが勘兵衛ならば。
「島田っ!」
 そんな彼をこそ、突き飛ばしてでも銃口の先から退かそうとしたのが久蔵であり。どちらにしても、相手の最も間近に立っていた老爺の身が目隠しになり、どちらを狙って銃が構えられたかは、まるで見えずという状況。腕の延長として振るう刀と違い、銃は手元のたった数センチの角度差でも照準が大きくぶれる。よって、こうまで離れて立っている侍二人、どっちを狙っているものかの察しさえつけられないのが厄介で。


  ――― 全てはほんの刹那に集約された、一瞬の永遠の中。


 口径があまり大きくはない銃だったのか、乾いた銃声が“ぱん・ぱぱんっ”と短くも軽やかに轟いて。木立の中に垂れ込めていた、青々とした草いきれとは明らかに異質な、饐えたような硝煙の匂いが風に乗って広がる。掴み掛かっての引き戻そうとしかけていた勘兵衛の手の先で、随分と縮んでの小さくなっていたのだろう、老爺の曲がった背中が、不自然な方向へと撥ね飛ぶことで遠のき。そんな彼の脾腹を掠めた流れ弾が、勘兵衛の目の前をなす術なくも通過する。甲足軽が狙ったは、自慢の攻撃を文字通り粉砕してくれた久蔵の方であったらしく、狭間にいた刀鍛冶の老爺の身を避けようなんて仏心なぞ、欠片ほどもなかった模様。
「久蔵っ!」
 せめて最初から避けようとしていればともかく。勘兵衛の身を案じての、むしろ射程の中へと飛び込む格好になっていた若侍であり。やはりさして動かぬままな表情の中、眼差しだけは真摯にも見開かれていたのが鮮烈で。少々歪んでいた初見の老爺はともかくも、終生を誓ったも同然の伴侶たる久蔵までもを害されるのかと。
「…っ!」
 そんな無体があるものかと。もしかして記憶にないほどの昔から跨いでの何十年かぶり、神仏に祈りたくなった壮年殿が、せめてと見やった先、こちらへ飛び込んで来ようと…正確には突き飛ばそうとしての掴みかからんとしていた彼を肩越しに見据えたその視野へ。

  “………え?”

 真上からのすとんと。あり得ないことにも幕が下りて来て、愛しき青年の端正なお顔が見えなくなった。いやさ、ただの幕ならそうはいかない。弾丸そのものは止めようもなければ先回りしての庇ってもやれないのに弾道だけは見えたという、そんな恨めしい動態視力が捉えた“それ”は。真っ向から飛び込んで来た鉛の弾丸を受け止めての食い込ませ、だが、力をうまく逃がすように、呼吸を合わせての身を引くという絶妙な加減を見せて。小さな弾丸の底辺が覗ける程度の被弾に抑え、ありがたい勲章を戴いたかのよに、その胸板をむんっと突き出すと誇らしげに仁王立ちをして見せる。

 【 な…っ。】

 勘兵衛も驚いたし、その鋼鉄の胸板に庇われた久蔵もまた唖然としたが、最も驚いたのは…文字通りの“隠し球”だった飛び道具をもって、奇襲を仕掛けての意趣返しを図ったはずの甲足軽。
【 何だ、貴様はっ!】
 刀も構えずのそれは無防備に、その身を晒していた双刀使い。これは仕留められると思ったものが、突然頭上から振って来た何者かにより見事妨害されてしまった。しかもその登場たるや、こんな神憑りは奇跡をいくら代替してもあり得なかろうというほどの、間合いであり位置でもあって。激高する機巧侍の問いかけへ、その“誰か”は、だが、すぐには応じず、
【 …ああ、間に合わなかったな。】
 まずは、どこか残念そうに。胸元を朱に染めて横たわる、刀鍛冶の老爺の小さな体を、片膝ついての屈み込むと、そろりと丁重に仰向かせ。開いたままだった無念の目元を伏せてやる。
【 この御仁の身柄を確保するのが、こたびの任であったのだろう? お二方。】
 かっちりとした肩越し、こちらを振り返る彼の言いようへ、
「…ああ。」
 特に障りもないのでと、是と頷いて見せる勘兵衛へ。鋼製だろう、横たわる三日月を思わせるゴーグルで目元を隠したその御仁、口許にふわりと苦笑を浮かべると、
【 そうだの、この姿では初対面だ、判るまいな。】
 楽しそうにくつくつと微笑ってから、


 【 アケボノ村の弦造、と言ったら。思い出してくれるかの?】


 そんなとんでもないことを、しれっと口に出した御仁だったりするのである。







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  *…とんでもないところで区切って申し訳ない。
   続きはすぐにも、お待ちあれ。
   これだけのヒントで思い出せたなら、
   あなた、一杯通って下さってますね。
   ありがとうございますですvv